ハワイアン・ジュエリーの歴史

ダンスとは

ダンスとは、主に音楽に乗って身体をリズミカルに動かす動作のことを言います。ダンスは、ただ単に身体を動かすのではなく、なんらかの感情や意思を表現することを目的としていることがほとんどです。

ダンスは、世界各地で古来から、それぞれの文化・伝統とともに継承されており、日本においても舞や舞踏という形で歴史と共に形を変えながら発展してきましたが、明治維新以降の欧化主義によって、大きな転機が訪れました。

ダンスパーティが初めて開かれた鹿鳴館の登場で、ダンスの歴史にも一気に西洋化の波が押し寄せたのです。

ダンスのレッスンを行なっているスクールも多様になり、現在では世界各地のダンスを習おうと思えば、それが何であっても必ず探し出せるほどです。

ダンスの良さは全身運動ができること。それぞれにあったスピード・リズム・動きで全身運動を楽しむことで、心身共に健康になること間違いなしです。

ハワイアン・ジュエリーの歴史

 アクセサリーの中でも、ハワイで100年の伝統を誇るハワイアン・ジュエリー。

 ハワイ土産としても最適のアクセサリーです。

 ハワイといえば、カメハメハ大王。某マンガの仙人の必殺技ではありません。ハワイアン・ジュエリーは、このカメハメハ大王を初代とするハワイ王朝最後の女王、リリウオカラニ女王(1838-1917)によって始まります。ちなみに有名な「アロハ・オエ(あなたが愛されますように)」はこの女王の作詞作曲。

 イギリス王室とも親交が深かったハワイ王朝のリリウオカラニ女王は、1862年、ヴィクトリア女王の夫君であるアルバート王子の喪に際し、イギリス王室と同じようにその死を悼み、金に黒のエナメルで「ホオマナオ・マウ(永遠の思い出)」と文字を入れたバングル(ブレスレットの一種)をつくり、身につけました。

 また、リリウオカラニ女王は、感謝の気持ちを込めて、「アロハ・オエ」と刻んだバングルを、親しい女子校の校長であるアトキンソン女史に贈りました。

 17世紀後半イギリスで流行した、故人の追悼や愛の言葉や思い出の言葉を彫り込んだアクセサリーであるセンチメンタル・ジュエリーが、19世紀にヴィクトリアン・モーニングジュエリー(服喪用アクセサリー)となり、さらに、リリウオカラニ女王によってハワイで定着し、今やハワイの国民的アクセサリーとなりました。

 ハワイアン・ジュエリーは正式にはハワイアン・エアルーム・ジュエリー(先祖伝来の家宝)と呼ばれ、親から子へ子から孫へ、または、大切な人へと、お守りのように受け継がれています。

 世界的な観光地として有名で、平和な常夏の楽園のイメージのあるハワイ。でも、その歴史をみると、国を奪われたリリウオカラニ女王の哀しみが宿ることがわかります。

 美しいハワイアン・ジュエリーを見ながら、ハワイアン・スピリッツのやさしい女王に思いをはせるとき、ハワイの夕焼けのような、ちょっぴりセンチメンタルな気分になりますね。

ひな祭りの意味

ひな祭りには、基本的には女の子の幸福と成長を願う意味があります。このような意味から、昔からの風習がかなり廃れてきている現代にあっても、女の子がいる家の多くでは、ひな祭りは大切な行事だと受け止められているようです。

ひな祭り、今でこそ豪華な段飾りなどが当たり前のように見られるようになりましたが、ひな祭りのもともとの意味は「禊(みそぎ)」。風呂などなかった昔は、後にひな祭りとされる時期に、川や海の水で冬の間の垢を洗い落とす習慣がありました。

……というと、とても寒そうですが、これは旧暦の3月3日あたり、つまり今で言うところの4月から5月の頃のこと。ですから、水浴びもさほど寒いというわけでもなかったようです。

この穢れを落とすという意味合いは、後に「流し雛」という習慣に置き換わります。こうした意味合いのあるひな祭りは、現代でも各地に残っています。

チャオプラヤー川南方面

陸上の渋滞を尻目に、チャオプラヤー川をボートですいすいと進むのはとても気持ちがいいものです。
チャオプラヤー・エクスプレス・ボート(ルア・ボウアン)上からみた、チャオプラヤー川の両岸の景色を観光名所である中心部までたどってみましょう。


ボートはチャオプラヤー川の南から北へと進みます。
進行方向に右手が川の東、バンコク側です。
そして左手が川の西、トンブリー側になります。
ボートは、南はバンコク市内のクルンテープ橋から、北は隣接する県のノンタブリーまで、さらに朝夕のラッシュ時にはもっと北のパークレットまで進みます。


クルンテープ橋からタークシン橋まで一帯には、列国の帝国主義時代にキリスト教が上陸したさいの伝道者や信者がつくった教会が点在します。


そしてタークシン橋からラマ1世橋までの間の川沿いにはフランス大使館が建っています。
このあたりは、かつて海外文化が流入したところだけあって、モダンな建築物が並びます。
水上警察は、19世紀に建てられた旧税関事務所ビルを利用しています。
さらに北へ進むと、まもなく木造の建物が軒を連ねています。
チャイナタウンの街並みです。


ラマ1世橋からプラ・ピンクラオ橋までは観光の名所が続きます。
ラマ1世橋を越えてすぐ左側は、キリスト教ポルトガル人の居住地だったところです。
その中心には、聖クルーズ教会の聖堂が見えます。
やがて右手には木造建築が見えてきます。
これはチュアクランポン王子の住まいとして造られました。
1909年にイタリア人の建築家によって建設されたとあって、美しい建物です。
王宮に近づいてくると、チャクリー・マハ・プラサート宮殿の真横に、王室御用船専用船着場が見えてきます。
そして、外側に掘り込まれた美しいレリーフが金色に輝き、鮮やかな紅色が映えているのが仏教図書館です。

フラワー・アレンジメントのいろいろ

 フラワー・アレンジメントとは、西洋版生け花。

 バスケットなど花器に盛ったものや、結婚式に使われるブーケや、クリスマスなどで壁や玄関に飾られるリース、コサージュなど、あらゆる花をアレンジしたものを指します。

 英国式フラワー・アレンジメントや、フレンチ・フラワー・アレンジメントなどがあり、ホリゾンタル(水平型)、360度見せるラウンド(ドーム)型、三方向から見せるトライアンギュラー型といった型があります。

 和風の花をあしらったアレンジメントもあり、デザイナーの感性の素晴らしさに思わず目を見はります。

 駅前の花屋さんの店頭で売っている、新鮮な季節感いっぱいのミニブーケなど、思わず手に取ってしまう人もいるでしょう。

 お値段も小さなアレンジで350円くらいから、数千円、数万円の豪華なものまでいろいろ。

 フラワー・アレンジメントされた花束は、お誕生日に、お見舞いに、開店祝いに、ご結婚祝いなどのプレゼントとしてポピュラーなものです。

 枯れるのがもったいない、とってもきれいなフラワー・アレンジメント。写真に撮って、カードにして贈るのも素敵です。